読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ランチにビール

愛顧、お願いします

『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ:4人のメンヘラと1匹の犬にまつわる究極(笑)の恋愛小説

★☆☆☆☆ チェコ 80年代

f:id:psy22thou5:20170217191256j:plain

 

4人のメンヘラと1匹の犬にまつわる究極(笑)の恋愛小説

ぼくはこれが「恋愛小説」だと聞いていた。そう、海外文学を少しでも齧っている人間なら誰だって知っている。『存在の耐えられない軽さ』(1984)は恋愛小説だ。

しかし、これは一体どういうことだ? 

開始早々、ニーチェの哲学的思念について聞かされるとは?

永劫回帰という考えは秘密に包まれていて、ニーチェはその考えで、自分以外の哲学者を困惑させた。(第1部-1)

 困惑しているのは我々だ。

歴史的にもまれに見るクソ導入だと思う。ソロの一音目からハズすようなもんだ。この掴みの酷さは、かの『モンテ・クリスト伯』にも劣らない。

 

 

震える手でページをめくる。何かの間違いなんじゃないか? 自分は恋愛小説を読んでいるはずなのに、なぜニーチェの話になっているんだ?

もし永劫回帰が最大の主にであるとすれば、われわれの人生というものはその状況の元では素晴らしい軽さとして現れうるのである。だが重さは本当に恐ろしいことで、軽さは素晴らしいことであろうか?(第1部-2)

 永劫回帰なんて知るか。

 

f:id:psy22thou5:20170217195635j:plain

 

いちいちうるさい筆者

『存在の耐えられない軽さ』の決定的な欠点にして、ぼくが特に気に入らないのは、筆者が雄弁過ぎる点だ。この小説は小説という体裁を採った思想書にほかならず、そこに物語の面白さ、キャラクターの魅力、あるいは文体の斬新さを求めるのは、お門違いなのかもしれない。

とにかく、筆者であるミラン・クンデラが随所で顔をだす。登場人物の行動や、出来事の一つ一つに対して、「これは〜〜〜」という風に解説してくれるのだ。これではうんざりしないほうがおかしい。ゲーム実況がうるさすぎて、肝心のゲーム音声が聞こえないようなもんだ。

文学というのは、語らずして語るものである。文学に限らず、映画だって漫画だってそうだ。カット一つ、コマ一つを通して、言葉にならない感情・思想を受け手に届ける、それがアートではないか。

ミラン・クンデラはきっと理系脳なのだろう。なにごとも順序立てて、言葉を尽くして、性格に伝えようとする性分が、文からひしひしと伝わってくる。文系代表のぼくとは相性が悪いみたいだ。

 

 

f:id:psy22thou5:20170217200748j:plain

4人のメンヘラと1匹の犬

物語は、ヤリチンの外科医・トマーシュと、その妻のテレザ、愛人のサビナを中心に進展してゆく。途中からサビナの愛人となるフランツが出てきたり。

とにもかくにもトマーシュ腐れ外道で、息をするかのように不倫をする。男性器が肥大化して、脳の中枢神経まで支配したかのような男だ。それでいて、テレザの前では純愛ぶったり、繊細な愛の形を披露している。ちんこの自己主張がヤバい。

一方で妻のテレザと言えば、旦那が不倫するたびにショックを受けつつも、なかなか離れようとしない。やっと離れたかと思えば、ちょっとやさしくされたぐらいで復縁するというメンヘラぶりである。

 

おそらくは、前述の哲学的思念を披露するためだけに用意されたキャラクターなので、いささか魅力に欠けるというほかない。どいつもこいつもメンヘラだ。

この物語における唯一の良心は、トマーシュテレザの飼っている雑種の雌犬・カレーニンだろう。最終章ではカレーニンの余生と死にフィーチャーされていて、ペットロスの悲しみを描いた部分などは身につまされるシーンだ。

 

 

 

これは決して「面白い小説」ではない。「小説」といって良いのかすら怪しいところだ。もし男女間の痴話喧嘩に興味があるのなら、ブコウスキーの長編を読んだほうが遥かに良い。『詩人と女たち』(1978)あたりがいいだろう。『存在の耐えられない軽さ』には耐えられない。

 

 

評価:1/5点 ★☆☆☆☆

犬の可愛さに一点

初心者オススメ度:0/5点 ☆☆☆☆☆

ガイブン嫌いになりかねない。読むべきではない。